2025年03月13日 木曜日
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[探求の種 vol.005] 「教師として生きるとは」part2

探求の種とは・・・

このコーナーでは「探究の森」に集まる人のコラム集です。思考は行動の「種」。
今思っていることや悩んでいること、学びの思い出など、ここで文字にすることで何かが生まれていくのではないかと思っています。
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1 はじめに

 お久しぶりです。茨城県の根本太一郎です。前回の投稿からだいぶ日が経ってしまいました。筆が遅く、申し訳ありません。この執筆にあたり、前回の投稿に目を通していました。自分の書いた文章を読むことで、改めて「自分はどんな人間か」「何を目指しているのか」と客観的に見つめることができました。そういった意味でも、文章に残しておくことは大切ですね。では、本日は以下のテーマについて深掘りしようと思います。

2 そもそもなぜ教員になろうと思ったのか

 原体験はやはり中学時代です。当時、同級生はほとんど小学校からの同じメンバー。インターネットの普及は進んでいたとはいえ、今ほどの情報はなく自分の人生を思い描くにも媒体となるのは本やテレビ、雑誌が中心です。福島県の中でも中核となる自治体に住んではいましたが、その外れの地域に住んでいました。まだまだ古い価値観は残っており、昔ながらのキャリアデザインが最上の選択とされていたことを思い出します。

「夢や目標は願っても叶うわけがない」「夢を持つのは一部の才能に秀でた人だけだ」こういう思いでただ漠然と時を過ごしていたことを鮮明に覚えています。教室の窓から外を見上げても、広がるのは田んぼと山々のみ。美しく思える一方で、何とか現状を打破できないかと思っていました。

 そんな中学2年の春。新しい担任の先生と出会いました。学年集会で自己紹介の場面では、英語のスピーチ。周りはざわめきました。「かっこいい・・・」言葉になりませんでした。さらに、授業は説明一辺倒の形式ではなく、生徒の意見や考えを引き出す手法。そして努力を惜しまず教材研究をされている点。一人の大人として尊敬する気持ちが生まれました。ただただ純粋に、「こんな大人になりたい」と思えたことを強く思い出します。

 恩師の姿から、教師という姿に対する漠然とした「憧れ」が生まれました。心の片隅で想いを抱き続けられたことが、今日の自分へと繋がっています。同時に、恩師が指導していた社会科の授業を受けることで、より一層探究心が芽生えました。「社会科を武器に頑張っていきたい」こう思えたのは、当時の授業あってのものだと断言できます。

 武器が生まれたことで自信となり、市代表の派遣事業に応募したり、生徒会長に立候補したりと、一歩踏み出すことが増えました。まさに、恩師との出会いなくては、今の自分はないと言えるでしょう。原体験としての教員への憧れと感謝の気持ち、これが今の教員としての私を形作っています。

 さて、次の原稿では、「どうやって自分の人生を探究したのか」掘り下げていきます。可能性を狭めたり、挑戦が怖かったりした自分をどのように変えることができたのか。ご覧になっていただけると嬉しいです。

 

2025年3月
根本 太一郎
(土浦日本大学中等教育学校 教諭 社会科主任)

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